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日本のロックシーンを代表するミュージシャン、甲本ヒロトさん。
彼のエネルギッシュなパフォーマンスと独特の歌声は、世代を超えて多くのファンを魅了し続けています。
しかし、その芸名の由来や本名について詳しく知っている人は少ないのではないでしょうか?
この記事では、甲本ヒロトさんの本名や芸名の由来、音楽キャリア、生い立ちについて詳しくご紹介します。
甲本ヒロトの本名と芸名の由来
本名:甲本 浩人(こうもと ひろと)
甲本ヒロトさんの本名は「甲本 浩人(こうもと ひろと)」です。
芸名の「ヒロト」は、本名の「浩人」をカタカナ表記にしたものです。
公式な場では「甲本ヒロト」とカタカナで統一されていますが、元々の名前と読みは変わっていません。
また、「ヒロト」という名前はシンプルで覚えやすく、音楽活動をする上で自然とフィットする名前だったのかもしれません。
甲本ヒロトの生い立ちと学歴
甲本ヒロトさんは、1963年3月17日生まれ、岡山県岡山市出身です。
地元の岡山大学教育学部附属小学校、岡山大学教育学部附属中学校を卒業し、
高校は岡山県立岡山操山高等学校に進学しました。
高校卒業後は、法政大学経済学部経済学科に進学するため上京しましたが、後に中退しています。
この頃から音楽への情熱を強く持ち、バンド活動に専念するようになりました。
音楽キャリアの始まりとバンド活動
高校3年生の夏、友人のバンド「ラウンド・アバウト」にボーカルとして参加し、
これが甲本ヒロトさんにとって初めてのバンド経験となりました。
大学進学後もバンド活動を続け、1982年頃に「ラウンド・アバウト」は解散。
その後、新たに結成したモッズバンド「ザ・コーツ」で活動を行い、
この頃から、後のTHE BLUE HEARTSで演奏される楽曲の原型となる曲が生まれていきました。
THE BLUE HEARTSの結成と成功
1985年、甲本ヒロトさんは真島昌利さん(マーシー)らとともに「THE BLUE HEARTS」を結成。
1987年にメジャーデビューを果たし、1stシングル「リンダリンダ」で一躍注目を集めました。
その後も、
- 「TRAIN-TRAIN」
- 「情熱の薔薇」
- 「人にやさしく」
などの名曲を次々と生み出し、日本のロック史に残る伝説的なバンドとなりました。
THE BLUE HEARTSの楽曲は、シンプルながらも力強いメッセージが込められており、
今もなお、多くのファンに愛され続けています。
THE HIGH-LOWS、ザ・クロマニヨンズへと続く音楽人生
1995年にTHE BLUE HEARTSが解散した後、真島昌利さんとともに「THE HIGH-LOWS」を結成。
THE BLUE HEARTSとは異なるアプローチで、ロックの可能性を追求していきました。
さらに、2005年にTHE HIGH-LOWSが活動休止すると、
2006年には「ザ・クロマニヨンズ」を結成し、現在も精力的に活動しています。
どのバンドでも、甲本ヒロトさんの歌は「シンプルでストレートなロックンロール」というスタイルを貫いており、
その一貫した音楽性が多くのファンを惹きつけています。
まとめ:本名と芸名に込められた思いとこれからの活躍
甲本ヒロトさんの本名「浩人」から生まれた芸名「ヒロト」には、
シンプルながらも彼の個性やロックへの情熱が込められています。
音楽活動のスタイルを変えながらも、
常に「シンプルなロックンロール」を追求し続ける姿勢は、今も多くの人を魅了し続けています。
筆者もザ・クロマニヨンズのライブに行った際、ヒロトさんのMCで「今日、お前たちに会えてうれしい!!昨日でも、明日でもない、今日会えて本当にうれしい!!」って言ってくれたのがとても感動して胸が熱くなったのを思い出します。
ザ・クロマニヨンズとして現在も活躍中の甲本ヒロトさん。
これからも日本のロックシーンを引っ張る存在として、さらなる活躍が期待されます!
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